株式会社KADeL
 ■ 専務取締役 黒瀬 信幸  ■ 心斎橋店 所長 秋山 かず子  ■ 本社 所長 西尾 真一
 ■ 建築デザイナー 竹中 舞  ■ 建築デザイナー 近棟 聡美  ■ 建築デザイナー 井口 翔午  ■ 現場管理 九之池 芳夫  ■ 現場管理 稗木 徹
 富国ハウジング株式会社
 ■ 専務取締役 黒瀬 信幸
 ■ 営業部係長 脇田 英輝  ■ 営業部主任 尾川 稜  ■ 営業部 内田 浩之  ■ 営業部 菅 裕守  ■ 営業部 中村 貴洋  ■ 営業部 山本 夏子
 ■ 総務部 三上 侑孝
チーフデザイナー/設計室主任 西尾 真一

思い起こせば、建築を学び始めてから20年以上の年月が経ちましたが、
この20数年の間にはいろいろなことがありました。

師との出会い、卒業設計、阪神大震災、修士論文、就職、祖母の死、結婚、資格取得、
長女の誕生、自邸の竣工、住宅ローンのスタート、次女の誕生、そして長男の誕生、
とあっという間の20数年だったと思います。
長い年月建築に寄り添ってきた私ですが、KADeLではじめて
住まいづくりの本当の愉しさや責任感の重さを知ったような気がしています。

お家をつくることは本当に大変なことです。
考えなければならないこと、クリアしていかなければならない諸問題が山積しています。
でも、住まいづくりはそんな諸問題を差し引いてもお釣りがくるくらい愉しいことです。

私は、お引渡しのときの施主様の笑顔をたくさん見てきました。
そして、愛着を込めて設計した住宅をお引渡しするときの寂しさもたくさん経験してきました。
私は、そこに住まうご家族がいつまでも仲良く、笑顔で、楽しく、優しい思い出が
刻み込まれるような住宅を設計したいと思っています。


建築作品
略歴
略歴 略歴
略歴
略歴 略歴
1990〜1992
大阪工業大学短期大学部建築学科にて建築家木村博昭氏に師事
音楽業界で働きたかった私ですが、訳あって挫折。てっとり早く就職ができるであろう建築の道を選ぶ。が、そこで建築家木村博昭先生と運命の出会い。
木村先生に建築の素晴らしさや愉しさを教えていただき、建築をライフワークとすることを決意する。
在学中に木村氏が主宰するKs Architectsへ参加のお声をかけていただくが、あまりの給料の安さと激務に恐れをなして、まだ就職は早い、と4年制大学へ編入学を決意
1992〜1995
大阪工業大学工学部第2部建築学科にて意匠設計を専攻
編入学した先が夜間大学だったので昼間の空いた時間を活用し、工務店で汗を流しつつ建築全般を学ぶ。
卒業設計が学内コンペにて入選し、第2部代表として卒業設計作品集へ掲載される。
ちなみに、卒業設計のコンセプトは「音楽の空間化」でジョン・レノン氏の名曲「イマジン」をセントラルパークの地盤面下に空間展開した。
1995〜1997
大阪工業大学大学院工学研究科建築学専攻課程にて住居論を研究
照葉樹林文化論を基軸とした住居学的アプローチによる、中国雲南省に住む少数民族ダイ族住居の調査・研究に没頭する日々を過ごす。
2度にわたり渡中、延べ70日間をかけて「世界ウルルン滞在記」さながらの現地調査活動をおこなう。調査時に対象集落の村長と意気投合し、永住のお誘いを受けるが、まだまだ日本でやり残したことがあったので泣く泣くお断りをする。
研究内容に関しては、全国でも研究者が少ないこともあり日本トップクラスの研究成果を上げる。日本建築学会へも論文を2度発表。
修士号を取得した論文テーマは「ダイ族住居における伝統と変容~西双版納の小さなムラから~」という、極めてマニアックなもの。
1997〜2003
(株)長谷工コーポレーションにて集合住宅の意匠設計を担当
集合住宅のような大規模住宅建築に興味があったことから、マンション業界最大手の㈱長谷工コーポレーションに就職する。
大阪エンジニアリング事業部在籍中は、関西を中心に集合住宅15棟(住戸総数約2000戸)の意匠設計を担当。設計担当として最後に携わった集合住宅は、当時の長谷工コーポレーション関西としては最大規模のプロジェクトであった、大阪市のアッド・パー・プレイス(RC15階建494戸2005年竣工)。
2003〜
(株)KADeL入社
集合住宅設計では感じる機会がほとんどなかった、そこに住まう方のためだけの住宅設計がしたいためKADeLへ入社。
KADeL在籍中の10年間で設計担当としてお引渡しした住宅は約100棟。ちなみに長谷工時代から受験し続けた、悲願の一級建築士資格を2003年に取得。
この年はド派手に家族でハワイに行きました。その後CASBEE戸建評価員、SE構法施工管理技士の資格を取得。このときは残念ながら家族旅行には行っていません。
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